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zoom RSS 坂東眞砂子氏コラム「子猫殺し」元文と9/23毎日新聞への寄稿

<<   作成日時 : 2006/08/23 11:32   >>

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 当ブログ記事は2006/08/18に日本経済新聞夕刊に掲載された
坂東眞砂子氏コラム「子猫殺し
についてのコラム全文と、一ヶ月後に毎日新聞に真意を寄せた文
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060922-00000058-mai-soci
である。

 坂東眞砂子氏の文章の全文紹介(転載)についてであるが、著作権的にはグレーゾーンになるかもしれない。

 もともと、この転載は私がそれについて意見を書くために必要だったので、コラムの引用・転載を行っていたものである。
 その後、まとめ記事の方に分離・移動させていたが、8/31にそちらのまとめ記事が字数オーバーをしてしまったので、さらに板東氏のコラム本文だけ独立させた。

 前述のまとめ記事では各種のブログやニュースを紹介しているが、それらを参照する際に、まずは大元の坂東真砂子氏のコラム本文をすぐ読めるようにしておくことは必要不可欠のように思われるため、全文転載を継続することにした。

 この著作権の問題について異議がある場合は、著作権保有者である坂東眞砂子ないしは日経新聞からのみクレームを受け付けたいと考えておりますので、必要であれば関係者の方は当方まで連絡願います。連絡先はへどうぞ。

[問題となっている坂東眞砂子氏の「子猫殺し」全文]

2006年8月18日「日経新聞」夕刊「プロムナード」より
「子猫殺し」 坂東眞砂子
 こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。

避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。(作家)

坂東眞砂子・・・1958年生まれ ホラー小説家
直木賞受賞「山妣(やまはは)」、「死国」など。


[9/23に毎日新聞に寄せられた坂東氏の寄稿文]

 約一ヶ月後、「真意を語りたい」とのことで毎日新聞にて寄せられた寄稿。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060922-00000058-mai-soci

 なお以下は坂東氏の文章だけだが元記事には解説と、タヒチ政府による告発の動きがあることが述べられていた。

◇坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している
 私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。
 さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
 しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
 もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
 他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。


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坂東眞佐子氏のエッセイについて−獣医の反論1
 忙しい〜〜。というわけで、このコーナーはずうっと放りっぱなしでした。申し訳ない。  さて、忙しがってる間にも世の中は色々起こっています。で、これはどうしてもコメントしておくべきだろう、ということで、最近お騒がせの直木賞作家、坂東眞佐子氏のエッセイについて。  このエッセイの全文は、こちらでどうぞ。  一読した感想。あー、こういうの、避妊手術反対!とがなりたてる輩の陳腐な言い草の集大成って感じだなあ。けど、こいつ、文章力はあるから、妙に説得性があるように見える。だから、感情的な反論ばかりが... ...続きを見る
ペットトラブルを考えるA
2006/09/15 21:25

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内 容 ニックネーム/日時
http://hiratomi.exblog.jp/4943457/
擁護発言をしているブログを見つけたので報告します。リンク先は(その3)ですが、(その2)でココにリンクして坂東を擁護しています。
アビシニアン
2007/03/23 23:34

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